エアコンの暖房と冷房で電気使用量が違う理由

 寒いのと暑いのではどちらが苦手かと聞かれると,どちらも苦手ですがしいて言えば暑い方でしょうか。
寒い時は着重ねすれば何とか凌げるし首回りを冷やさないようにすると,体感的に寒さが感じにくくなります。
最近は防寒タイプの肌着も多く発売されて,厚着をしなくても凌げるようになりました。
また雪掻きをすると汗が出てくるくらいで,体を動かす事で温かくする事もできるでしょう。
寝る時も毛布などを使えば暖をとって休む事ができます。
反面,暑い時はいくら薄着でもたとえ裸になっても暑い時は暑いものです。
熱帯夜にエアコンなしで眠るのは至難の業で,エアコンのタイマーが切れると目が覚めてしまうなど睡眠不足になりがちです。
車に乗っている時も日差しが強く,降りた時のむわっと感は不快なものです。
でも人間のからだは不思議なもので暖房時は20℃程度まで温めないと暖かく感じませんが,冷房時は20℃では寒すぎて25℃〜27℃程度で涼しく感じます。
適温と外気温との差が大きい暖房が使用電気量が多く,小さい冷房の方が電気量が少ないのはそういう理由ですね。http://www.ksfc.biz/

エアコンの暖房と冷房で電気使用量が違う理由

●「資本ポリシーの終焉と功績のピンチ」を読んで

●「資本スタイルの終了と年季の危機」 水野和夫
という物々しい題名のマガジンを見かけ、手にしてみました。環境学など徹頭徹尾無縁で興味のない私ですが、”オーバーで物々しい題名から受取るスリリングな風土を楽しんで見るか”くらいの感覚で読んでみました。
細かいヒストリーは読んでいただければと思いますが(すみません、ズルくて・・・)、ざっくり略しますとこんな感じです。
■「風土総無利息」時代のあとに何が目覚めるのか?
・展開を果たした国家から無利息になり、環境が混沌とやる。→展開の保持は要望薄。
・「バブル支払ジャンル」の資本スタイルで米等の強国の環境はどこへ伺うのか。
・中国は米没落後の覇権国家になれない。中国バブルが弾けたあとの、風土環境は混迷。
・アフリカのグローバル化が進めばもう青田刈りの領地は残っていない。その状況下で、資本スタイルは未だに継続できるのか?

■「風土総無利息」
=資本スタイルの終了でなぜ日本にチャンスが現れるのか?

さてさて、前書きが長くなりましたが、環境学に興味がない私が、どうしてここまで各種誌を手にするような行いに至ったかだ。

予め、「資本スタイルの終了・・・」では著しく環境処置を見直す必要があるとのアドバイスに煽りされ、こういう作者のプライベート考えでは?と疑惑を保ち、再び関連するマガジンを読み広げてみました。
それから分かったことは、
”資本スタイルは永久的かつ強制イデオロギーでは乏しいという場所。”
でした。
「なんだ、そんなことも知らんのか?」と一蹴なるかもしれませんが、それはご憐憫頂くとして、各作者は、グローバリゼーションが進展し、「電子・金融ゆとり」が育成・膨張する状況で、同一的年季の実績のある経済的イデオロギーで今後も風土をコントロールできるのか、現在の資本スタイルをポイントとした環境処置の立場を根本的に改善やるではないか、ひいては、資本スタイルに移り変わるものを真剣に考えないといけないのではないか、とアドバイスされているように私には受け止められました。

会社に身を置いていると、資本スタイルが大前提、更に市場環境が大前提となった現職の中に埋もれているため、そういったリアルをにらめっこ始める機会に恵まれません。(断じて会社批判する了見はありませんので取り違えなきみたいお願いします。)
そういった違う思想、概念の見聞をわざわざ仕入れないと、この危機感は生まれて欠けることを只今痛感してある。
最近は、そんなテーマの中で、”サラリーマンとしての身上で何ができるのか?”と自分に問い掛けてるようになりました。ひいては、「自分が行動して変革を引き起こすことなどそう簡単なためない。そんなことは重々承知している。とはいえ、危機的な状況はあんまり近い将来のことを見せるように感じる。では自身はどうして行動するのか。」といった葛藤に苛まれるようになりました。
前もってテーマを認識してしまった上記、その行いを具体的にかつ速効系統に考えなければいけないと思い直すのですが、随分そんなに簡単ではないようです。

最近のことですが、葛藤と戦ってばかりもいられないというため、以下のように自分の行いガイドラインを捉えることとしました。
「”自分の残るサラリーマンの日数+環境注力に関すると想定される日数”で考えるとこの先の約20階級となります。そうなると自分の子供たちやその子孫に何を残して言えるのか”というとらえ方をしないといけない。」
些かおどろおどろしいですね。ですが、これをさっと急いで整理したいと思います。とは言うものの、単純に自分平均で整理できるテーマだとは思っていません。そのくらい甘いためはないと思っています。
もう少しだけ捉えやすい思惑で整理すると、”私が後世に残す場所、残すべきことは何か”という予測で整理することがいいのではないかと思いました。
そうすれば具体的な”賜物”で表現できるかもしれませんし、単純な”コトダマ”でも良しのかもしれません。

先のつぶやきで「シンプルにものを図る」と述べられたほうがいらっしゃいました。これは非常に受け入れやすいと感じました。行いを導き出すにあたってはシンプルな直感でOK。しかし、先につらつらと述べたまま、その行いをもたらすに達する思惑は何だかシンプルには考えられない、複雑に絡み合ったときの中から、その根源的な思想や概念にもとづき、それらを紐解き、各種の情報から相談を誕生し整理して、虎の巻の効果を推論にもとづき追求することが重要と思っています。

よって、
”明瞭な行いが貴重、ただしその決断は慎重であること、それは厳選された見聞・思想に基づく場所”

これが私のこれからの行いガイドラインだ。

●「資本ポリシーの終焉と功績のピンチ」を読んで